ピックアップ
2010.2. 1
兵庫同友会40年の軌跡
兵庫同友会40年の軌跡
兵庫県中小企業家同友会 創立40周年
あの時、何を見て、何をしたか 兵庫同友会40年の軌跡
第1回:忘れない、命の尊さと復興へのエネルギー 阪神淡路大震災の教訓
1970年10月27日、全国で8番目の同友会として、会員数40名で設立された兵庫県中小企業家同友会は、幾多の試練を乗り越え、1,336名(2010年1月現在)の会員を擁する経営者団体に成長することができました。今年2010年10月27日(第23回全兵庫経営研究集会の開催予定日)には、40周年を迎えます。関係者の皆様には、改めて心より感謝申し上げます。
今号から、「兵庫同友会40年の軌跡」と題して、兵庫同友会がたどった歴史と教訓を項目ごとに取り上げてまいります。第1回は、今年で15年目を迎える阪神淡路大震災です。
1995年1月17日の未曾有の大震災は、バブル崩壊後の不況と相まって、中小企業に大きな打撃を与えました。あの混乱の中、同友会はどんな活動を行なったのか、当時の事務局長、栄敏充氏の手記から振り返ります。

震災後初の例会

兵庫同友会会員数の推移 拡大
「中小企業家は瞬時に決断を迫られた」
~事務局から見た経営者のドラマ~
大地震発生。須磨の母親に電話すると家は半壊で周りが燃えていると言い、東灘の娘は周りがつぶれて、怖いので歩いて帰ると言い張る。事務局員に電話すると、内橋・仲村・植松・中澤局員は無事だった。このとき、榎本さん(パート)と昨年末退職の岡本さんが全壊した家に埋まっていた。いつもより早く事務局に出勤した仲村から連絡が入り、建物は無事だが(当時事務局は、神戸駅北側にあった)ファックス二台が落ちて壊れ、机・書庫が倒れ手がつけられない状態だという。とりあえず、晩の「経営者大学第1講」「センター長会議」「広報委員会」の中止を連絡してもらった。そのうち電話が通じにくくなり、やがて事務局と交信できなくなった。
翌々日から午前7時過ぎに出勤、須磨から東灘まで神戸市の550社を徒歩、自転車そして水とカセットコンロを積んだ自動車で、一軒一軒訪ねる生活が続いた。午前5時頃には、連日のように各地同友会からの救援物資が届き、運んでこられた役員の方を被災地に案内して説明。事務所に帰るとマスコミの記者から取材を受けた。
【経営者の懸命な姿とエネルギーに感動】
震災後にA社を訪問すると、半壊した工場から社長も奥さんも社員も真っ黒になって、機械を掘り出し外に出していた。次の日に行くと、会社の隣に屋外避難者のためのテントを張り炊き出しをしていた。1週間後、マスコミの記者と訪ねると驚くべきことに機械が動き社員が働いていた。同じ支部の会員が、駄目かと思っていた機械を直してくれたので助かったという。A社で震災7日目に社員に配った「復興計画書」を見せてもらった。半月後に路上でばったり会うと、知り合いの工場の機械を運び出し、その再開を手伝っていた。
本社が全焼したB社を訪ねると「燃えたものは仕方がない。後ろは振り向かない」と覚悟を決め、三日後には傾いた社員寮に仮事務所を設け、社長自ら取引先に無事を知らせて回っていた。一ヵ月後には近くに本社を借りて通常通りの営業を始め、4月1日には新入社員を同友会の合同入社式に出席させていた。
大打撃を受けたビルメンテナンス業界のC社を訪ねるとお得意さんが半分に減っていた。しかし、忙しくて仕方がない?なんと壊滅した神戸から逃げず、部分開店に必死の大規模店の解体と掃除の仕事に入り、人を増やしていた。
家屋の倒壊が酷かった地域、D社を訪ねると倉庫が全壊し商品が全滅だという。しかし、店は奥さんが守って社長は避難所の責任者となり早朝から深夜まで帰ってこないという。それから二ヵ月半、会うときはいつもヘルメットをつけた避難所の責任者の姿だった。
今から思えば、事務局が必死で頑張れたのも、頑張ろうと思ったのも、こうした会員経営者の使命感の素晴らしさ、その緊張感と集中力の輝きに感動したからだと思えてくる。
【中小企業の社会的使命 ~地域と共に~】
今回の大震災で全国に事業を展開している大企業と、地域で事業をしている中小企業の違いが見えた。大企業は神戸が駄目でも全国どこでも仕事ができる。大手の運送業者は渋滞で走れない神戸に見切りをつけ、トラックを引き上げ効率の良い地域に回した。中小の運輸業の会員企業は殺到する依頼に、いつ着くかわからない渋滞の中、必死で地域に必要な運送に追われた。大手の建設業者は効率の良い大きなプロジェクトを追い、中小の建設業者は殺到する民家の緊急工事の依頼に追われた。自社の建物の修繕に手を付ける間もなく、雨が降るまでになんとかしようと依頼者の必死の願いに応えて、渋滞の中、効率の悪い工事に社員と一緒に黙々と取り組んでいる会員経営者の姿を何度も目にした。
「地域と共に」「地域密着」という言葉は良く聞いていたが、震災は中小企業の地域に果たす社会的使命を目の前に見せた瞬間だった。
【生中継(NHKラジオ)の反響】
震災から一週間たった25日の夜10時から22分間、NHKラジオ第一放送で兵庫同友会から生中継が全国に流れた。「中小企業の状況と復活の課題~今日、給料日を迎えて」をテーマに、佐藤代表理事と三浦常任理事と事務局がインタビューに答えた。 翌日には、全国から反響があった。
①
ラジオを聞きながら車を走らせていると、現地の悲惨な茫然自失の報道が続いた後、突然中小企業家同友会の名前が聞こえて、番組が一変した。経営者が「今、何をしなければならないか」の訴えを聞き、同友会の底力に感動し、逆に我々が励まされた。
②
工場が潰れ、もう駄目だと全員解雇を考えていた時、ラジオが聞こえ、雇用調整助成金の制度があると聞いて思い止まった。あの時、解雇してしまっていたら復旧できたがどうか。
経営者の情報の質と瞬時の判断とがその後の企業の明暗を左右した。
【社長は社員が見え、社員は社長が見えた】
三ヵ月後、各社の操業と売上がどこまで戻ったのかと聞いて回った。耳にし、目にしたのは多少の差はあるものの、あの瓦礫の中から考えると信じられない復興のスピードだった。よく聞いてみると、「緊張感と集中力」を持ったのは社長だけではなかった。社員も危機感を共有していた。
あの真っ暗闇の中で雇用が維持されたとき、人間として仕事ができることへの喜びを誰もが知り、働くことが社会の役に立ち感謝されることを多くの社員が実際に体験した。社会的使命感で社員と一致した企業は信じられない力を発揮していた。震災はすべての人の人間性を白日の下に現し、人の本当の姿を見るチャンスになった。経営者はお得意さんの実像が見え、お得意さんも経営者が見えた。また、経営者は社員の考えていることが分かり、社員も経営者の生の人間像を見た。
そして、同友会の経営者がこの本物の試練に耐えるだけではなく、逆にチャンスにできる人間力を持った素晴らしい会員が多かったことを目の前で見た時、企業の社会性・人間性・科学性を重視する同友会理念の素晴らしさ、三つの目的の二番目「よい経営者になろう」の重要性を実感した。
(阪神大震災物語より抜粋)
阪神大震災を体験して私たちが学んだこと
私たちが震災を体験して実感したのは、第1に、社員の雇用と生活を守り、地域の復興に役立つという中小企業の社会的使命の重さでした。震災直後、すべての経営者が瞬時にその決断を迫られました。 第2に、寝食を忘れた復興への闘いのなかで体験したのは、同友会のネットワークの素晴らしさ、その理念の正しさの実感でした。
①
誰もが先の見えない揺れ動いている時に、社員の雇用と生活を守る決断をできた時、経営者だけでなく社員も危機感を共有し、その労使一体となった緊張感と集中力が、通常では考えられないほど早く企業を復興させました。
②
社員が仕事が出来ることへの人間としての喜びを知り、企業の社会的使命という理念の共有が社内で進みました。
③
情報の重要さを身にしみて体験しました。
④
中小企業にとってネットワークがいかに大切かを体験しました。工場・会社が倒壊した中でいち早く立ち上がれたのは、これまで培ってきたネットワークの力であり、同友会会員間の援け合いの力でした。
⑤
経営指針を成文化していた企業の立ち上がりが早かったのを実感しました。
⑥
同友会の二番目の目的「よい経営者になろう」の重要性を実感できました。大震災は一人ひとりの経営者の人間性を白日のもとに現し、小手先の経営技術は通用しませんでした。
(1995年度第26回総会議案書より抜粋)
震災時会員数 1037名
全焼・全壊(営業不能) 52社
半焼・半壊(営業不能) 77社
その他被害 480社

