会員企業訪問
VISIT
会員名
澤田 忍(代表取締役)
所在地
兵庫県朝来市生野町口銀谷2372
創業
1966年8月
事業内容
自動車販売・整備
従業員数
7名
公式サイト
入会年月
-
事業内容及び企業の沿革
1966年に先代のお父様がバイク屋さんとして朝来市生野町に創業されました。澤田氏は後を継ぐべく大手ディーラーで修行をされ戻ってこられましたが、1年ほどたった時にお父様が他界され、あまり一緒には仕事ができなかったとのことです。
一人の事業所でしたが、1997年に法人化された後、何かで日本一になりたいとの思いで、当時まだまだ珍しかったEV(電気自動車)のレースにミゼットIIの改造車で出場。見事日本一の座を獲得されました。
地域の同業者が廃業される中、地域の顧客も守らなければならない、とM&Aにも前向き。厳しい外部環境の変化の中でも、前期は過去最高の売上・利益を上げられました。
業界の状況、外部環境の変化とその中での対策
澤田氏は、自動車整備業は車検など法に守られた業種だとしきりに言われます。自動車整備業はコンビニより多い、全国に約95,000工場。澤田氏が地元に戻ってこられた頃6,000人ほどだった町の人口は、今や半減。若年層の車離れや高齢者の免許の自主返納も進みます。都市部と違い、地方での自動車は生活の足でありなくてはならないものですが、後継者がなく廃業される同業者もあるとのこと。
整備難民を無くす事も大切だと語られます。
また現在、自動車業界は100年に一度の転換点と言われ、次世代のモビリティ業界の在り方を示すCASE(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)が叫ばれ、整備の方法も含め大きく変わっていきます。
現在取り組んでいることについて
■「朗働環境の整備」
「カイゼン」よりも「快適」に。牢働でなく、労働でなく、朗働を。
いわゆる働き方改革を実践されています。以前は、不夜城とも言われるほど残業が多い職場だったとのことですが、3日以上の連休を増やしたり、年間休日の増加、社員さんの未来年表を作成しビジョンの共有など、朗らかに働ける環境づくりに取り組まれています。
3Sにも積極的に取り組まれ、お客さんにも社員さんにも快適な環境整備となっていました。
■「サービスの品質「澤田品質」「澤田Way」の確立
徹底した顧客志向を持つスペシャリストを、澤田モータースのプロフェッショナルとして、これを澤田品質と定義されています。知識やスキルの専門性だけでなく、精神性や自己管理能力も含めたものがプロフェッショナルであるとの考え方です。また、お客様の問題解決をハード面のだけでなく、ハート面でも解決するホスピタリティを目指され、これを澤田Wayとして進まれています。
社員に対して
ニコニコとしながら「恵まれているなぁ」との第一声。社員全体でのミーティングを日に4回行われており、風通しの良さを感じます。
社員は社長の鏡、分身。同じ考え価値観を持って動いていただき、共に真の幸せを追求していく、と決意を新たにされていました。
同友会への想い
現在は、毎年経営指針書を作成し実践されていますが、もし「同友会に入っていなかったら、ずっと車屋さんごっこをしていたかも。」と、振り返られました。大変であったであろう支部長時代について伺うと、「支部長をやってよかった」と言われます。
支部長時代には、改めて「労使見解」や「同友会運動発展のために」を読み込まれ、同友会とは何だ?を深く深く考えられたそうです。その甲斐あってか、以前は押し付ける形のリーダーだったのが、人を活かす社長になったかなと笑顔がこぼれます。
今後の展望
現在61歳である澤田氏は事業継承に向け、着実に進んでおられます。
長期ビジョンとして、「2030年の澤田モータースは第5フェーズに到達!」と掲げられています。第5フェーズとは、社会的課題にも取り組む「なくてはならない企業」のこと。
車社会である地域の中で自動車は生活の足となっています。今後高齢で免許返納をされる方も増える中、地域の足をどのように支えていくのか。産官学連携を通じて模索し、地域への恩返しもしていかなければ、と語られました。
年配の社員さんが10年後に安心して働ける場をと、新規事業「旧車専門工場」も計画されています。全国から整備依頼が殺到するようになれば、と夢も語られました。
編集後記(取材の感想)
店内の壁には、オーナーさんの写真がいっぱい!地域に愛されている企業だということが伝わってきます。
澤田氏の趣味は50歳から始められたマラソン。フルマラソンどころか、なんと100km(!)のウルトラマラソン完走もされます!粘り強く着実に進んで行かれるその姿は、先を見据えじっくり進んでおられる経営姿勢に通じるものを感じました。
北はりま支部広報委員 有限会社花房商店 花房 靖裕